安土城でも使用、城主の力を見せつける“ある構造”
外川淳の「城の搦め手」第40回

安土城の鉄門周辺に残る石垣
豊臣秀吉もまた、信長から発展継承する形で、大坂城をはじめとする自身の居城において、桝形を多用した。安土城や大坂城の桝形を目にした者の多くは、自身の城にも桝形を利用しようという流れとなり、日本全国の城へ桝形が普及していく。
江戸城を探査すると、桝形のさまざまな実例を目にすることができる。田安門・桜田門・清水門は、数度の補修を経ているものの、江戸時代創建の建物も残されており、桝形の姿を知るには格好の教材ともいえる。田安門と清水門は、桝形内部の地面がアスファルトなのに対し、清水門は土と砂利の状態が保たれ、往時の景観が保たれている。

清水門ニの門の背後。江戸城内でも人影が少なく、お勧めのスポット
その一方では、地上から完全に消滅した虎ノ門や、部分的に石垣が残る一橋門や四谷門など、桝形の残存状態は与えられた環境次第ともいえよう。
- 1
- 2